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新年あけましておめでとうございます。

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新年あけましておめでとうございます。

まだ始まったばっかりのブログですが、今年もどうぞよろしくお願い致します。

新年始まって

さて、ブログを3週間ほど休んでいた。理由は体調不良。新年早々、連日の目眩と疲労で何もする気が起きずずーっと横になりながら好きなアニメを観ていた。そんな中、久しぶりに血糖値スパイクを起こしてしまった。

 

私は検査はしていないが反応性低血糖症だと思われる。1番初めに起こしたのはまた20代前半だった。私は血糖値スパイクで人生で初めて気を失ってしまったのだ。その後から私の身体は疲労を感じやすくなった。食後は立っていても寝てしまうほど、目が開けていられないほどの異常な眠気に襲われる。時に手が震え、冷や汗が出たり、突発の鬱症状が出る。一度糖尿病検査を行なってもらった事もあるが、正常値なのだ。その時ドクターに、「炭水化物によって血糖値は急上昇、急下降する。急下降時にそういった症状が起きることがある。なので食時のメニューから炭水化物を抜いたらどうか」と提案された。

そこで私は昼食時は炭水化物を摂らないように、でもすぐお腹が空いてしまわないようにお肉を添えたサラダを食べるようにした。そしたら、劇的に症状が改善したのだ。その後はその食生活を続けていた。

食事を見直した後

最近もそういった食生活を続けているが、たまに炭水化物を取る時がある。ご飯を食べる時は「糖質オフの玄米」を食べるようにしているのだが、お正月と言ったら「餅」、お餅を食べたい!となり、お餅を食べたのだが、これが間違いだったのかもしれない。。。いや、その日の朝からパンを食べて私の膵臓がすでにインスリンを過剰分泌していたのかもしれない…。

お餅を食べた一時間後から目眩が始まったのだ。起きていられないほどの目眩、横になった後に襲ってきたのは冷や汗、震え、私の頭では「ヤバイ…これ止めなきゃヤバイ…」というものだった。この症状が出るのは血糖値が急下降しているとき、下降を止めれば症状は和らぐ。それを知っている私はクッキーを食べ、症状を和らげた。症状が落ち着いた私は瞬時に眠りについた。もしかしたら気を失っていたのかもしれない。

 

その後から体調が不安定なのだ。ようやく今週になって体力が戻ってきたので、ブログ更新をすることにした。

HSPは身体も繊細?

私だけではなくHSPの人って身体も繊細な気がする。持病があったり、アレルギーがあったり。これはきっと人より敏感でストレスを感じやすいので、体も疲弊してしまうのではないだろうか。

私も低血糖症の他にもアレルギー体質であり、メニエールもちである。そう言えば雪が降った日は右が圧迫されていて気持ちが悪かった。今は自分の身体との付き合い方も分かってきてはいるがこれ以上要らぬ不調はきたしたくない。

 

なので心の平安と身体のためにも、生活から心理的・身体的ストレスを出来るだけ取り除くようにしている。ストレスになりそうなものを見ない、聞かない、行かない。食事も炭水化物を過剰に摂取しないように気を付けている。

 

 

でも、やっぱりお正月はお餅が食べたくなるのだ。

人の声を聞くこと

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私たちは生きている上で人に意見されることは意外と多いのではないか。身近だと親や兄弟、親戚、友達、会社の人、会ったこともないSNS上の知らない人など色々な人から意見またはアドバイスされる事は多い。それは本当に私たちが望んでいる「アドバイス」なのだろうか。それとも「あなたのため」と言うただの「大きなお世話」なのだろうか。「大きなお世話」ではないとしても「強めの意見」なのではないだろうか。

 

「人の意見」に対するHSPの反応

HSP、HSS型HSPは人の気持ちをとても気にする。上記の大きなお世話と取れそうなアドバイスでも、本当に相手を思ったアドバイスでも「このアドバイスを受け入れなかったら相手はどういう気持ちになるだろう。嫌な気持ちにさせないだろうか。」と言う気持ちになってしまう。少なくとも私はそうだが、あなたはどうだろうか。

 

また、アドバイスを受け入れたとしても「行動しなかったら相手に嫌な思いをさせてしまわないだろうか。行動したとしても相手の望む結果を生み出さずにがっかりさせてしまうのではないだろうか。」など考えてしまいなかなか動くことが出来ずにいる。全く、難儀な性分である。HSS気質が出てる時は人に有無を言わさず動く私もHSP気質が出てる時は(つまり何かにすごく興味を引かれていない時)は人の気持ちを気にしてしまう。

 

そんな時に私が気を付けていること

そんな時私は自分の気持ちをまず聞いてみる。自分はどうしたいのか、どういう結果が欲しいのか、など。その後もらったアドバイスを再度考えてみる。もしかしたらアドバイス全部はきけなくてもその中の一部は実はとても有効的なもので自分の考えと相手の考えを合わせたらもっとベストな選択肢が生まれるのではないだろうかと。

そうすれば相手の気持ちを損なうことも自分の気持ちを損なうこともない。

そう。アドバイスは丸々全部受け入れなくてもいいのだ。

 

また、私は誰かに相談された時には必ず相手に決めさせるようにしている。話を聞いてほしいだけなのか、アドバイスが欲しいのかを話を聞きながら見極め、アドバイスを求められたら違う視点からの見方が出来るように自分の意見を伝える。そして必ず付け足すのだ。「これは私の意見だし、取り入れる取り入れないはあなたに任すね。私の人生じゃないからうまくいかなかったとしても責任はとれないから」と。相手が受け取りやすいように伝えることを心してるし、もし相手が自分と同じHSPだったら…と考えながら話す。HSPは擬態が上手で「実は…」な人が多いと思っているからだ。

 

あなたの意見も大事

HSPは人の意見で動けなくなってしまう。でもあなた自身の意見も人の意見と同じぐらい大事であることは覚えておいてほしい。人は意見をする。それが私のためかもしれない。でも私が成人している以上、私の人生の責任はあなたしか取れないのだ。誰にもその責任を委ねることを出来ない。

 

だから、私と同じようにHSPな人も人の意見をすぐ尊重せずに、自分の気持ちや考えもしっかりと尊重してほしい。そしてベストな答えを出してほしい。自分の人生の責任を取れるように、間違いだったとしても後悔しないでほしい。「自分で決断」出来ただけで偉いのだから。

 

 

 

 

自己開示

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よくHSP関連で話題に上るのは「HSP(HSS型含む)であることを友人・家族に話すか」という事だが、これは個人の自由なので自分で決定した方が良い。と、これではここでend of the storyになってしまうので、もう少し掘り下げていこうと思う。

 

私の決断

私は「話さない」一択である。理由は「話して失敗したから」だ。幼馴染に話したところ、「へー」で終わったから。まあ、「へぇ」ですよね。それ以外は無いと思う。でもこの時の私は「こっちは清水の舞台から飛び降りる覚悟で話したのに、『へぇ』かよ!」っとなった。でもここで疑問に思った。

 

「じゃあ、私は何て返してほしかったのだろうか?」

 

この答えは未だに分からない。まあぶっちゃけたのも一度だけだったし、その後誰にも話していないので『正解』に出会ったことはない。でも今思うに私はたぶん「聞いて欲しかった」のだと思う。「え、それって何?どういう事がストレスになるの?」と自己開示を広げて欲しかったのかもしれない。そして「HSS型HSPな私」を、開示する前の私ではなくようやく辿り着いた「本当の私」を知って欲しかったんだと思う。まあ、これも試した事がないので分からないけど。


今後も自己開示はしていかないと思う。現在フリーエンジョイ真っ只中な私だが、こんな私が良いと言ってくれる男性に出会った時には私の「トリセツ」として開示するかもしれない。それまでは友人にも話さないと決めている。

 

話さないと決めたのなら


じゃあどうするか。これは以前書いたようにこちらの対応を変えるだけだ。もしも友人と遊ぶ際に疲れた時はすぐ退散、音がうるさいところでは「ごめん、場所変えて良い?」と聞く、友人と遊ぶ時間を短くする、会うなら1対1で…などを徹底している。最近はコロナの影響もあるがなるべくグループで会うのも避けるようにしている。


「でも、そのままの自分を受け入れてくれない人って友達と言わなくない?」という人もいるかもしれない。それはその人の感性として良いと思う。だけど、友人の全てを受け入れてる人間なんてこの世にどれぐらいいるのだろう。「友達」だからと言って全てを相手に開示している人はそうそういないのではないか。もちろん皆その人の「部分」を受け入れるのか「全体」を受け入れるのかはその人次第でいいと思っている。人との付き合い方なんて千差万別、「その人なりのもの」を作れば良いのではないか。

私は友人に会う事によって知らなかったことを吸収したり、その人の人生について聞いたり、共通の趣味について話したりしたい。だから友人と会い続ける。ただ、自分を守ることも大事なので、自分の意思もはっきり伝える努力もしている。

 

開示のための提案

ここまで書いてきてどう纏めれば良いか少々迷っている。『開示』これは傷つきやすいHSPにはハードルも高く、清水の舞台から飛び降りる気持ちもあるだろう。では、どうすればいいか。これは正解が一つだとは思わないが、下記のようなことができるのではないか。

  • 少しずつ小出しにする。
  • 自己開示した時にどういう反応が欲しいか考えてみる。
  • 相手にどうしたらうまく伝わるか考えてみる。
  • 相手の反応が自分と違った時にどう捉えれば良いか考えてみる。
  • 伝え方を考える(口頭なのか手紙orメールなのか…)   など

私は貴方が伝えた相手があなたにとって心地の良い反応を示してくれる事を祈っている。だってその人に自分の深いところを共有したいと思うほどその人の事が好きだと思うから。好きな人には皆受け入れて欲しいと願うだろうから。

 

 

自分を知るということ

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昨日のポストで自分のアイデンティティを知ること、決めることについて書いたが、じゃあ『自分のアイデンティティは自分』と決めてうまくいったのかと言えばそうではない。その後ももがいてもがいてもがきまくった。苦しくて辛い日々を何年も送った。今日はそんな話。

 

アイデンティティは「自分」…?

アイデンティティは「自分」でいこうと思っても私は常に耐え難い苦しさを心に持っていたように思える。それは毎日叫びたくて仕方ない衝動となっていた。普通に叫んだら警察に通報されかねないので、日々抑えるようにしていたが、余りにも叫びたくて苦しい時は枕に顔を埋めて叫んだ時もある。「私は狂っているのだろう…。」そう思った日は一度ではない。誰かに想っても暴走してしまう。辛いことがあればそれが遅効性の毒となって時間が経つごとに苦しくなってしまう。自己反省会なんて毎日。多重人格者ではないのに全く別人の性格の2人を一つの身体に閉じ込めたようなそんな思いをずっと持っていた私は毎日困惑していた。

今はなぜか分かる。

 

私は、HSS型HSPなのだ。

 

好奇心旺盛で好奇心のアドレナリンだけで行動に移すくせに、その反動でひどく疲れてしまったり、五感が敏感で仕事に行くだけでも疲労を感じ、空気を読み、一つの情報も深く繊細に処理してしまうのだ。よくHSS型HSPは『ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるようだ』と言われるが本当にその通りなのである。この相反する行動、感情、思考回路が私を疲弊させパニックに陥らせる。『叫びたい』という衝動は疲弊とパニックからきていたのではないかとその時のことを振り返って今は分析する。

 

この答えに辿り着くまで

この答えに辿り着くまでには時間がかかった。かかった理由はまずHSPについては認知されつつあったが、・HSS型HSPの認知度は低かったこと、・「繊細さん」と呼ばれるHSPには似たようなところは見つけたが当てはまらないとこもあったこと、あとはどこかで自分は普通だと思っていたのだと思う。(まあ、今思えば普通の人は「叫びたい」と言う衝動を毎日抱えてはいないと思うが笑)

 

もっと若い時にHSS型HSPについて辿り着けていればもっと違う未来が今あるのかもしれないが、まあそこは仕方ない。後悔する時間は惜しいと思っているので、これからは未来に目を向けるように私はしたい。

 

HSS型HSPと知ることによって得たもの

ただ自分がHSS型HSPと知ることによってストレスはだいぶ減った。仕事も通勤から在宅の仕事に変更した。これで人の目や音や機嫌を気にせずに働ける。そして自分を注意深く観察・分析した。自分が疲れているのか、あとどれぐらい頑張れそうか、今は何にストレスを感じていてどうすれば軽減できるか、どう生きていきたいかなど自分と対話する機会を増やした。人混みに行く用事がある時はなるべく他の人が行動しない朝早くに行動を開始するようにしてている。(お店などは開店と同時に行く)人混みに行った日は自分が思ってるより疲弊しているので、そのあとゆっくりと過ごす。自分の体調や気持ちを逐一チェックして、それに対応をするようにした。気づいたら病的に叫びたいと思っていた自分はいなくなっていた。そしてそかなり生きやすくなっていた。

 

自分を知ることとは?

自分を知るということは自分の嫌なところを直視しろと言うことではないと思う。まずは自分の好きなもの、嫌いなものの分別から始めると良いかもしれない。もしかしたら自分と同じ悩みを持ってる人がいるかもしれないので、ネットで検索をしてみるのもいいだろう。ただし気をつけなくてはいけないのは、自分と同じ悩みや思考を持っているからと言って、その人達と自分はまるっきり同じではないと言うことを念頭に置いておいてほしい。みんな少しずつ違うものだから。そして違うことは『不正解』ではない。違うことは『当たり前』なのだ。

 

自分を知ると自分を労わる方法も見つかると思う。何にストレスを感じ、どうしたら軽減できるのか、どんな人達と一緒にいることを好み、1人の時間はどう過ごすのか、自分は何が好きで何が苦手か。そして好きなものや心地の良いものを一つずつ増やしていくことによって生きやすくなると思っている。

 

そしてこれから

今の私は自分を知る前より断然生きやすいし、これからの事にワクワクしている。1年前までは死ぬことを毎日考え、「死にたい」と呟いていたのに…だ。(ちなみにそんなネガティブな自分を人に見せることはないので、もし私の友人たちがこれを読んだら心底びっくりするのではないだろうか。HSPとは人を欺くのも上手な性分である。)

 

だから周りに目を向ける前に自分に目を向けて欲しい。自分を知り理解し労ってあげて欲しい。そうしていくことによって「たった一人しかいないあなた」の価値を認めてあげてほしい。そして、一人でも多くの「あなた」の毎日が少しでも心地よく楽しいものとなりますようにと私は祈っている。

 

 

アイデンティティが分からなくなった話

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私は高校から海外へ単身留学という目的で渡り、その後10数年居ついていた。『留学』とは名ばかりで本当は機能不全でバラバラになっていた家にいたくなかっただけなのだが…。

そんな中、当時のパートナーと別れ日本に戻ってきて働いていた私は「アイデンティティ」に迷っていた。日本に帰ってくるまでは自分は16歳近くまで日本にいたし、久々の日本とは言え、日本人にすぐに溶け込むだろうとたかを括っていた。それが、大きな間違いとも知らずに…。

 

私は日本人?それとも外国人?

私は海外にいた時、自分の感情や意見や振る舞いから「Ms.Sは日本人だからね」と言われていた。だが、日本に帰ってきたら今度は「Ms.Sはもう向こうの人だね」と言われてしまうのだ。それも何度も何度も。自分では分からないものだが、自分の振る舞い、言動、全てが日本人のそれとは違っていたらしい。おかしい…私の戸籍は日本国だし、仮にも第二次性徴期まで日本では育ったというのに…。

 

そこから私はアイデンティティクライシスにスコーンと止まることなく落ち込んだ。私は一体誰なのか、どの国に属しているのか、何人なのか…。考えても考えても答えが見つからない。日本人として振る舞ってみてもそれは違う。自分が何か息苦しさを感じた。向こうにいた時のように振る舞えば傍若無人扱い。どこにも属していない自分。自分を確立する『誰であるか、何であるか』が無いのだ。私は泣いた。寂しくて孤独感にも苛まれた。

 

目から鱗。私を救った言葉

そんな時、テレビでタレントのすみれさんが出ていた。彼女は両親が離婚後、母親とハワイに移住し、大人になって拠点を日本へ移した。(ちなみに私はすみれさんの顔がとてもタイプでいつ見ても「綺麗だなぁ」と思っていた。)彼女に密着し、取材したテレビ番組内で彼女は泣きながらこう言ってた。

「私が何かをすれば「すみれは向こうの人だからね」と言われ、向こうでは「すみれは日本人だから」と言われてしまう。私は何人なのか、私のアイデンティティが分からない」と(随分前のテレビなのでうろ覚えなのは許してほしい)

私はビックリした。同じ思いをしている人がいるのかと。

そして涙する彼女に彼女の友達はこう言った。「You are Sumi, you are you! That’s all matters.」日本語では「あなたはすみれ、あなたはあなた。それが1番大切なこと!」だろうか。

その言葉で私の目から鱗がボロボロと落ちた。「そうか、私は私なんだ。どの国に属しているとか何人なのかは大切なことではない。大切なのは私が私でいることだ」そう思うようになっていた。

 

気付いたことは…

そこから私は自分が何人であるかとかは大きな問題ではないと思うようになった。日本の文化やマナーが私を作ったように、海外の文化やマナー、そこでの体験もまた私を作ったのだから。

だから私は誰かを「日本人的」「外国人的」というのが好きではない。その人は「その人」だと捉えるように努力している。「努力している」と書くのはやはり昔からの癖で誰かを「〇〇人」と無意識にカテゴライズしてしまうこともあるからだ。でも私はカテゴライズされたくはない。私がそう思うのだから、そう感じる人が他にもいるはず…と私は考えている。人は誰しも周りから(人であったり文化であったり様々なものから)良い影響も悪い影響も受ける。それが「その人」を形成していく。だから問題はその人が何人なのかではない、その人がどういう人かということを理解することなのだと思う。結局日本人だって1億人以上いてその中で性格が全く同じ人なんていない。日本人内だって違うのにどうしてその人を国でカテゴライズできるだろうか。

 

アイデンティティで悩んでるあなたへ

だから今もしこれを読んでくれているあなたが、自分のアイデンティティを国籍で悩んでいるのなら「本当にどこかの国籍でラベリングされるのが自分の望みなのか」今一度考えて欲しい。もしかしたら必要なのは「あなた」であることだけなのかもしれないから。そして「あなたがあなた」でいることを誇ってほしい。周りの良いことも悪いことも吸収して出来たあなた。今自分の存在を見つけることが出来たら、今度はそこから要らないものをそぎ落としてもっと素敵なあなたを作ることが出来る。

日本人でもない、外国人でもない、あなたというあなたが。

 

 

 

初めまして

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皆さま、初めましてこんにちは。

Ms. Sと申します。

何度かブログを書いたことはあるのですが、何度も飽きてしまい続かない状態。

でも友人に『配信すること』を勧められたため、再度ブログを作成してみました。

このブログ内では、私が知ったこと、気になること、調べていることなど多岐に渡った内容で書いていこうと思っています。

本当でしたら、一つのsubjectに絞って書いたほうが良いと思うのですが、私は『好奇心旺盛で極度の飽き性』、一つの事に凝る事が出来ない性分なので、「一つに凝る」という事を投げ捨て、気楽に綴っていこうと思っています。

皆さまにも共感していただいたり、私が綴る事から何かのヒントを得たりしていただければと思っています。

よろしくお願いします。

 

About Me

■名前:Ms. S

■血液型:AB型

■特性:HSS型HSP, AC(機能不全家族育ち)

■その他:海外在住歴15年(現在日本)

■好きな物:自然、動物、暖炉、山、湖、英語、スポーツ観戦、名探偵コナン、Diane Chamberlain、ナルニア国物語ディズニープリンセスシリーズ

■興味のあるもの:ソロキャンプ、キャンピングカー、田舎に移住